箕面小の柿の木 僕らにとってはとても悲しいニュースです
「箕面の柿の木と言えば、箕面小学校の渋柿、元気にしてるかな~。
チョッと明日にでも見に行ってこようっと!」
なんてお気楽に構えて昼すぎ母校の箕面小学校を尋ねた。
丁度、地域大運動会が開催されてたので、比較的自由に校内にはいることが・・・
<運動会開催中> どうも間の抜けた感じ
「ない!」
「あのいつも立っていた箕面小学校の柿の木がない!」
「明治7年の創立の頃からずっと校庭にあった柿の木がない!」
<校庭の柿の木> 小学校の卒業アルバムの最初のページを飾っていた
校門のところに立っていた運動会の世話人のかたに尋ねると、
玄関のところにモニュメントとして飾ってあるというので行ってみると・・・
「ああ〜あこんなになっちゃってね。」
柿の木の解体は7月に行われたようです。
「長いことご苦労さんやったね。
僕たちが還暦をむかえてリタイヤした年まで見ててくれたんやな〜」
<モニュメント1>
<モニュメント2>
モニュメントの写真を撮ってたら、若い女性に声をかけられた。
小学校の広報誌に載せるため写真を撮ってたら、この一眼で撮った写真をいただけたらと思い
チャッカリ声をかけたとのこと。
気軽に承諾、代わりに記念に一枚お願いしま〜す。
<広報担当の先生達> 明日にでもデータ持っていきますよ〜
■訂正 広報担当の先生達ではなくPTA広報担当のTさんとWさんでした。
前に撮った四季の「箕面小の柿の木」をお渡しすることを約束し、学校を去った。
小学校卒業時の担任N先生に引き続き
また一つ大事なものをなくしてしまった。
<在りし日の柿の木> 2000年の87期同窓会開催記念
(パワーポイントの画像をJPEG化してますので画質は非常に悪いです。)
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>柿の木お別れ会の様子(箕面小学校広報ブログ)baraさん情報ありがとうね
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by Mr_Futchan | 2012-11-04 21:27 | その他 | Trackback | Comments(12)
今日まで愛されていた柿の木、現在の児童と同じ思いを共有しているって卒業生として嬉しいですね。
インタビューまで・・。流石ふっちゃん君^^
ほんと市民体育祭をやっていなければ知ることができなかったんですよね。
タイミングがよかったね。お互いに^^
記念の写真を写すことができて、昨日のふっちゃんさんの一言に感謝です♪
そして、しんみりとしてしまった今日の記事です
四季の「箕面小の柿の木」・・・貴重な写真を撮っておいて
本当に良かったですね~!!!
<広報担当の先生達> もお若い!!
素敵なおじ様の助っ人登場にさぞ喜んでいることでしょう♪
私の通った小学校も、それはそれはいい雰囲気の
素敵なデザインの木造校舎でしたが、今では
とてもキレイな校舎に建て替えられて、当時を
偲ばせるものは、校門のオブジェと二宮さんの像くらいなものです。。。
おはようございます。
虫の知らせともうしますか、
柿の木も僕たちにもお別れをいいたかったんでしょうか?
不思議な気持ちになりました。
インタビューはどちらかというと教頭先生との時間がながかったです。
よく考えると教頭先生も私よりお若い?
どうも昔は怒られることが多かったもんで、緊張してお話ししました。
おはようございます。
今日の出来事は徳島のスダチ娘?Y谷さんにも連絡しておいたヨ。
柿の木も僕たちにもお別れをいいたかったんでしょうか?
不思議な気持ち、オヌシのいうように縁を感じました。
今日の記事は号外ですので、内容が日頃よりまして取り乱してる。
記事にもあるように、
箕面小の卒業生にとってはこの柿の木は特別なんです。
そして箕面一中では欅の木があって、こちらも二代目になっています。
欅の木の切倒しは、在学中にありました。流石に「お別れ会」までは
やってなかったように記憶してます。
幼い小学校時代の思い出とはと次元が違ってきますね。
小学校1年時は、明治7年創立当時の校舎で勉強したんですよ。
数ヶ月に一度床をタールがけした匂いが鼻を突いたのを覚えています。
また、冬はコークス・ストーブが教室の前方に座りました。
箕面小学校にも二宮さんが薪を背負って勉強しています。 笑)
いいモニュメントですね。
以前箕面出身の友人がいたのですが、
会わなくなってもうずいぶんになります。
こちらでは少子化のため、
廃校になる小学校も増えてきました。
そのあとは地域のコミュニティ広場になったり、
介護センターへと転用されています。
いま個展を開催しているところも、
元は四谷第四小学校でした。
お隣の四谷第三小学校も廃校で、
そこは生涯学習センターになっています。
私が卒業した区立の小学校は、
まだ小学校ですが、
児童はだいぶ少ないようです。
自分の卒業した学校がいつまでもあるということは
ある意味幸せなことだと思っております。
都会ではおっしゃる様に他の施設に生まれ変わったり出来ますが、
荒廃が進んだ山奥の分校や統廃合で使われなくなった校舎は
荒廃がすすみとても悲しい光景です。
こんな風にモニュメントとして残された柿の木は
幸せな木であったと思います。
ありがとうございます。
二代目の柿の木も育ってるようでありがたいことです、
この柿の木はいったい何人の子供達を見て来てたんだろうか?
明治は遠くになりにけり・・・
幸せな木でもある。
そろそろ小学校、中学校の同期会の構想を練らねば・・・
>海と列車 何か 懐かしい感じ
日本海を背に走っているからでしょうか?
素敵な方でしょう!
ゲームショーではないですが、母校で撮影なんて幼い時には
想像もしてなかったことです。
柿に木も苦笑いしてたでしょうね。
「全然成長してないな、このバチ当たりめ!」