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トランスメディア提供アイコン01 天高く人肥ゆる秋 by 空倶楽部

天高く肥ゆる秋、もとえ、天高く馬肥ゆる秋の空
9月25日はいい空の色でした。
写真はNikon College受講を終わり大阪淀屋橋界隈を歩いて帰った時に
撮った空です。
 
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# by Mr_Futchan | 2022-09-29 00:00 | 空倶楽部 | Trackback | Comments(5)

トランスメディア提供アイコン01 □ 越後村上の思い出

9月19日のFacebookの記事で元越後村上城主「村上周防守忠勝の廟所」に触れた。以前に2回も出張の折に村上市に行ったことを思い出した。出向いたきっかけは、JR東日本「大人の休日倶楽部」のポスター、吉永小百合さんが鮭料理店「喜っ川(きっかわ)」の前に立つ姿が目に焼き付いていたからです。そこでHDDから過去の写真を蔵出ししてきました。
 
古代越後村上では三面川の鮭は朝廷に租税として納められていたとされます。時代は下り江戸時代、村上藩にとって鮭は大切な収入源でしたが、江戸時代後期になると秋鮭漁が年々不漁となっていました。長年鮭を観察し続けてきた青砥武平治が藩に提言して増殖事業を興し、世界初の鮭の人工増殖を成功させたとのこと。延々とその精神は今も引き継がれています。
尚、現在鮭の遡上数は2万9千尾余りで放流数800万尾に対し回帰率は0.2~0.3%となっているとのことです。
 
1回目の村上訪問は2014年9月某日、村上駅に早めについてそのお店「喜っ川」の前に直行し、お店の内外を撮影して出張先に出向いた。別のお店ですが、夕食はもちろん「鮭いくら丼定食」をいただきました。
<喜っ川>
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<鮭塩引き>
□ 越後村上の思い出_a0158226_14363089.jpg
<コラージュ>
□ 越後村上の思い出_a0158226_14370924.jpg

2回目は2ヶ月後の2014年11月のこと。三面川の鮭漁の様子を撮って、直ぐにとって返して新潟行きの列車に飛び乗りました。鮭の産卵ために整備された三面川の直ぐ横の種川で橋の上から産卵シーンを見ることができました。
<鮭の一本釣り>
□ 越後村上の思い出_a0158226_14363880.jpg
<捕獲柵ウライ>
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<種川の鮭の産卵>
□ 越後村上の思い出_a0158226_14365879.jpg
 
 


 



# by Mr_Futchan | 2022-09-23 14:38 | 自然・四季 | Trackback | Comments(0)

トランスメディア提供アイコン01 □ 日傘よ〜!with 空倶楽部

 
台風14号が九州南部種子島・屋久島に近づいていた9月18日10時過ぎ
「おはよう〜日傘!」baraさんからmailが届いた。発信源はnokoさん
とのこと。北摂マダムお二人からの連絡でした。
丁度18日の記事「神子畑選鉱場跡を訪ねて」を自宅にて書いている途中でしたので
直ぐ対応、日傘の写真を撮ることが出来ました。
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💖 💖

9月14日 午後姫路勤務のため移動途中、狙ったわけではないですが
こだま849号博多行き Hello Kitty 号に当たった。何故かウキウキ得した気分だった。
□ 日傘よ〜!with 空倶楽部_a0158226_12432108.jpg
 






# by Mr_Futchan | 2022-09-19 00:00 | 空倶楽部 | Trackback | Comments(6)

トランスメディア提供アイコン01 □ 神子畑選鉱場跡を訪ねて

 

神子畑選鉱場は兵庫県朝来市佐嚢に位置し、かつて隣町にあった明延鉱山の選鉱施設として建設された

選鉱場跡です

その歴史は古く、800年頃から鉱山として開拓され、一時は生野の支山として幕府の管理下に置かれた。

 

明治11(1878)には神子畑周辺で有望な銀の鉱脈が発見されたことから近代鉱山開発が進んでいったが、

明治41年になると神子畑鉱山は衰退した。その頃、お隣の明延鉱山では採掘鉱量の増加により、

従来の選鉱施設では手狭になってきていた。

そこで明延鉱山では採鉱後の一次破砕までを行い、神子畑に選鉱機能を移設することとなった。

鉱山としての役目は終えてしまったものの、

神子畑は大正8(1919)から明延鉱山から運び込まれた鉱石を選鉱する大規模な「機械選鉱場」として

生まれ変わることとなった。

 

山の斜面を利用した機械選鉱場はその規模・産出量ともに「東洋一」と謳われた。特に「比重選鉱技術」

は国際的にも

高い評価があり海外からも視察団が訪れるほどだった。

24時間稼働したため夜中になると選鉱場が光る姿が不夜城のようだったという。

<山の斜面を利用した神子畑選鉱場跡> 建屋は平成19年に解体された


<シャクナー> 液体中に混じる固体粒子を分離する装置

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□ 神子畑選鉱場跡を訪ねて_a0158226_11341058.jpg


 

残念ながら昭和62年、円高の急激な進行で競争力を失った明延鉱山の閉山に伴い、本選鉱場も操業を終了し

閉鎖された。平成19年「鉱業の歩みを物語る近代化産業遺産群」(生野・明延・神子畑鉱山関連遺産)

として経済産業省の近代化産業遺産[33施設]の1つに認定された。

(ウィキペディア、(株)シルバー生野HP等参照しました。)


# by Mr_Futchan | 2022-09-18 11:34 | その他 | Trackback | Comments(0)

トランスメディア提供アイコン01 □ 生野銀山資料館に思う

830日 

観光坑道を出て坑道前の銀山資料館に入った。

生野銀山の歴史を、パネル展示などにより紹介しています。

ここで一枚の写真に釘付けとなった。

その写真は三菱鉱山に払い下げられた明治30年(1897年)から

閉山した昭和47年(1972年)まで生野鉱山で働いた従業員数と共に展示されていた。

<生野鉱山の鉱夫>

□ 生野銀山資料館に思う_a0158226_22194495.jpg

現在の現場環境とは雲泥の差がありますが、

落盤などの危険と隣り合わせの現場でこれほど涼しい表情になれるのかと。

そこで思い出すのが、

かつて鉱山労働者の自治的な相互扶助・技能伝習集団であった「友子制度」です。

マタギと熊の壮烈な勝負を描いた熊谷達也氏の直木賞受賞作「邂逅の森」にも

友子制度のことが少し出てきました。

そのようなことも、鉱夫の表情にも出てきていたのではと思った次第です。

 

資料館には、明延、生野両鉱山で掘られた鉱石も展示されていた。

明延鉱山跡へはまだ行ってないので早々に行きたいと思っている。

<生野鉱山の鉱石>

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<明延鉱山の鉱石>

□ 生野銀山資料館に思う_a0158226_22261558.jpg

 

更に日本国内の鉱山についても少し調べてみた。

記録に残る鉱山は北海道から西表島まで2358鉱山(271炭鉱内数)あったが

それは今では172鉱山(11炭鉱内数)に減少していて

黄金の国「ジパング」がはるか昔の物語だな〜とつくづく感じた次第です。

<日本国内の鉱山データ>

□ 生野銀山資料館に思う_a0158226_22270080.jpg

 

 




# by Mr_Futchan | 2022-09-11 22:29 | その他 | Trackback | Comments(0)