生野銀山と播州高原を巡って 1
“スイス・アルプス 珠玉の村々をまわって“ を中休みして、
9月2日に行った生野銀山や播州高原の様子を紹介します。
生野銀山の開山は大同二年(807年)という。
時は流れ永禄元年(1558年)には、彼の「天空の城」竹田城の城主が管轄するに至った。
その後、天正六年(1578)織田信長が生野奉行を置く。
このころ、石見の技術が伝えられ、鉱山は益々栄えたという。
豊臣、徳川の時代には、各々の台所を支え、最盛期は吉宗の頃という。
明治元年(1868年)には日本初の官営鉱山(政府直轄)となり、
その後、三菱合資会社に払い下げられ、以後、三菱の経営で国内有数の大鉱山として稼働してきたが、
昭和48年(1973年)に閉山した。
<銀山入口>
<坑道入口・出口>
大谷川を挟んで正面は観光坑道入口、右の赤い橋を渡って観光坑道出口
<鉱脈>
白い石英の中に金・銀が含まれており、黄色く光っているのが金らしい
この坑道の歴史を物語っているのが、坑道の”土留め”の色々。
どの土留めもシッカリしていて、恐怖感はなかった。
観光坑道は全長約1km、
年間を通して約13℃という涼しい40分の地中散歩でした。
<坑道コラージュ>
<太閤の水>
豊臣秀吉がお茶を点てた名水(今は飲用不適の注意書きが)
<坑道出口> ああ涼しかった!
つづく
by Mr_Futchan | 2013-09-05 21:32 | 旅行(国内) | Trackback | Comments(4)
手堀りの炭鉱でしょう・・・
どれだけ多くの手間がかかっているのでしょうか~~~
炭鉱で真っ黒になって働く人々と
のんびり優雅にお茶をたてる太閤秀吉様の様子
その両方を想像して見ました。。。。
この観光坑道が一番低い所にあって、
山の上から掘り進んで来て、
滝の下までたどり着いたとのこと。
山の上には柵で止められた坑道があり、
露天掘り後もありました。
佐渡の鉱山ほど悲惨な山ではなかったようですよ。
秀吉もこんな所で茶を点てることを
考えついたなと感心しました。
「利休にたずねよ」ではないですが、ここでお茶を点てたころは
もうおごり高まっていたんでしょうね。
涼しくて、この日は豪雨、暴風で荒れてましたので
人も少なくて、寒いぐらいでした。
もともとは、鳥取の山奥まで滝を撮るつもりでいたが
前日に行き場所を変えました。
一度足をお運び下さい。逆に冬は暖かく感じるそうです。